軽井沢は何故有名リゾート地になった?歴史を探る

軽井沢と聞いてどんなイメージを持ちますか?

「別荘」?それとも「プリンスショッピングプラザ」?「お洒落なリゾート地」という人も多いかもしれません。

軽井沢といったら最近の話題はやはり「ビルゲイツ」でしょうか。マイクロソフトの創業者、そして世界でも有数のお金持ちの彼が「軽井沢」に別荘を建てている最中だとか?6000坪の土地に建設中の建物はヘリポートも備えた要塞の様だ、何てこともまことしやかに噂されています。

さて、そんな軽井沢は何でこんなに有名になったのかはご存知ですか?

確かに夏の過ごしやすさは非常に快適で別荘向け、それに大自然が素晴らしい場所に間違いはないのですが、それならそういう場所は長野県にはいくらでもありますよね。

学生時代に軽井沢についての歴史も学んだような気もしますが、すっかり頭から抜けてしまっている今日この頃、改めて「軽井沢」について調べてみました。

スポンサーリンク

軽井沢の歴史

長野県軽井沢はかつては中山道の宿場町として栄えていました。大名行列や善光寺参り、飛脚、それに行商の人々などが通る賑やかな場所だったんでしょう。

そんな宿場町は明治時代になってから、とある一人の男によって開発されていく事になりました。その男の名は「雨宮敬次郎」と言います。

彼は火山灰に埋もれていた場所も開墾して植林を施し開発、まさに今の軽井沢の「元」を作り上げたという人です。

敬次郎はこの以前にヨーロッパ、アメリカを外遊していた程で、軽井沢に対しての先見の明があったのではないかと思われます。今現在でもこの当時の開墾地は「雨宮新田」という地名で残されているんですね。

アレキサンダークロフトショー

その数年後、日本に滞在していた宣教師でカナダ人の「アレキサンダークロフトショー」が、日本の夏の暑さに耐えかねて長野県軽井沢を訪れます。

カナダは軽井沢の気候に似ていますからね、きっと相当気に入ったのでしょう、数か月間を軽井沢の友人宅で過ごすのです。

そして明治21年には自分の「別荘」を建ててしまいます。その間大勢の外国人を連れて軽井沢を訪れていたために外国人の滞在客が増え、また土地の安さも相まってさらに「別荘」を建てる外国人が増えていきます。

こうして「避暑地」としての軽井沢が始まったんですね。

軽井沢の発展

明治21年、新潟県直江津~軽井沢間の直江津線が開通します。

軽井沢~群馬県横川までの鉄道も開通、明治26年になると日本人が初めて「別荘」を建てます。

これをきっかけにしてその後は「軍人」「学者」「上流階級」などの人達が次から次へと「別荘」建設を始めます。

別荘を持たない人は「三笠ホテル」「万平ホテル」などを利用して避暑を楽しむようになりました。

大正時代になると「別荘分譲」そして「貸し別荘」が始まり、「建売別荘」の販売も開始され、大正の終わりごろには650もの別荘があったのだそう。

そんなにも古い時代から軽井沢は避暑地として愛されてきたんですね、凄いな~。

現在の軽井沢

こうして高級別荘地としての価値は高まって行き、完全に「ブランド」になった軽井沢。

戦後は一般の人にも親しまれるようにと観光化もされていきました。

特に「テニス」「サイクリング」などのスポーツ施設も増やしていったようです。

天皇陛下美智子妃の出会いが軽井沢のテニスコートだったというのはあまりにも有名な話ですよね。

そして「ジョン・レノン」が大の軽井沢好きだった、という事実も「軽井沢」を有名にしている一つの要因でもあります。

「軽井沢プリンスショッピングプラザ」「軽井沢銀座通り」そして「ハルニレテラス」などの有名ショッピング店、そし芸能人の別荘や店舗、美しい大自然などの話題は尽きる事が無く、日本で最も有名な一大リゾートとして、「軽井沢」は確立されています。

軽井沢への年間の来客数はおよそ800万人、首都圏からのアクセスの良さも一役買っています。

長野オリンピックをきっかけにして開通した「北陸新幹線」も重要な集客要因ですね。

まとめ

地元長野県民にとっても「軽井沢」は特別な場所。

その高級でお洒落なイメージは私達長野県民の「優越感」をくすぐる場所です。

私も年間を通して訪れますが、それぞれの季節に美しい景観を見せてくれる軽井沢の魅力には本当に感動させられます。

長野に生まれて良かったな~と思える場所、それが軽井沢かもしれません。

ブログ村参加中です!
スポンサーリンク
広告と記事



シェアする