無言清掃は長野県の学校では当然。それメリットあるのかな?

無言清掃、これ、長野県民なら当たり前にやってる事です。

小学校から始まって、中学、高校、そして会社まで、ありとあらゆる所で実施されています。

私も小学生時代からずっとこの「無言清掃」をやらされてきたんですが、これって長野の名物?だったなんて知ったのは大分後の事でした。

清掃時間は「モクモク」と「黙って」ひたすら掃除をする。

これ、何かの修行みたいなんですが、実際この「無言清掃」は宗教的なものからきているんです。

我が家の小学生の娘に聞いたところ、やはり今現在でも「無言清掃」はお決まりでやってますね。

今でも綿々と受け継がれている長野の伝統である事は間違いないんですが、これって何か良いメリットがあるんでしょうかね?

興味深いのでちょっと書いてみます。

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無言清掃とは

無言清掃とは何か?というとですね、「精神と肉体を鍛錬し、己を知り心を磨く」ためにする行いです。

半世紀以上昔の時代から行われている様ですので、一体どれくらい古臭い事なのかお分かりでしょう。

元々はブッダの弟子に起因する逸話が影響しているんですが、曹洞宗永平寺で禅僧の間で行われている「無言清掃」という修行が影響しています。

これを長野県教育委員会が取り入れた、という事でしょう。

禅僧の修行を取り入れる「掃除」、何となく良いイメージはありますよ、確かに。でもですね、そんな事を説明された覚えは全くありません。

ただ掃除の時間になると「黙ってやれ」と先生に怒鳴られた記憶しかないのが現実。たった20分~30分程の時間ではあったもののそれはそれは苦痛の世界でした。

今でも娘に言わせると「嫌な時間」で、「楽しくない」と言ってます。

そりゃね、仏教のお坊さんならやれますよ、でも小学生に強要してみて何かのメリットがあるとは考えにくいんですがね。

「己を知る」何てこと、小学生は考えてもみませんからね。

無言清掃のメリットは?

無言清掃にメリットがあるとすれば「静か」な事でしょうか。静寂がある時間が取れるので、その時間帯は鳥の声が聞こえるかも。

そしてもし、子供達本人が本当に心を込めて無心で掃除をしたとすれば、まさに「心を磨く」という結果になるかもです。禅僧がするように「瞑想」に近い物になるでしょうし、世俗的な物から一時的に心を解き、「本当の自分」を取り戻す時間になるでしょう。

そんな事考えてる子供はまずいないです。ゲームの攻略法とか友達の事、今日のおやつの事位しか考えないでしょう。

にもかかわらず、冷たいバケツの水に雑巾を浸し、それで長い廊下を四つん這いになって雑巾がけ、「ホウキ取ってよ~」とも言えず「黙って」掃除を続けなければ怒られます。

先生に怒られない程度に適当に「無言清掃」してるだけですね~、メリットは無いに等しい。

おしゃべりしながら掃除しても別に綺麗になるでしょうし、取り立てて良い事は無さそうです。

無言清掃はそれでも残る

最近では「自問清掃」なんかもあるそうですが、それってどうやるんでしょうか?

自分に問いかける事で「己を知る」んですかね、これも限りなく「宗教」っぽいですね。

こういう事は表面的には素晴らしい事のように見えますが、実際何かの役に立っている事って少ないですし、かえってストレスフルな事だと感じるのは私だけでしょうか?

古くから行われている事ってどうしても続くんですが、いい加減見直してみたらどうなんでしょうかね。

学校の先生だって「己」を知ってる人なんているの?

時代は変わってますよ、しかも物凄いスピードで。

私が小学生の頃はインターネットは勿論、携帯も無かったですよ、公衆電話を使用、家の電話はダイヤル式黒電話、という時代ですからね~。

あ~時代は変わってる~~~~

組体操とかもそうですが、けが人、そして死んでしまう子供まで出ているのにまだ続ける、とはどういう事ですかね、古い事は見直して変えていくのも絶対大事ですよね。

まあ、それでもきっと残っていくんでしょうね「無言清掃」。古くから伝わるものとは難しいものですな。

まとめ

長野県の伝統「無言清掃」について私的な意見を綴ってみました。

私的にはとっても嫌な時間だったんですが、もしかすると「好き」な人もいたりするかもしれません。

いずれにせよ何事も「楽しく」するのが一番良いですよね~。

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