草間彌生。
以前からテレビなどで紹介されているのを見た事があったのですが、彼女が長野県の松本出身だと知ったのは本当に最近になってから。
水玉模様と派手な色使いのインパクトが強く、「不思議な絵を描く人」という印象でしかありませんでした。
が、松本市で生まれ育ったという彼女について非常に興味が湧いてきました。
赤い髪の毛と真面目な表情の画像ばかりが目に付きますが、彼女は一体どんな人生を生きているのでしょうか?
草間彌生の生き様について調べてみました。
草間彌生の生い立ちと経歴
草間彌生は1929年(昭和4年)3月22日に長野県松本市生まれ(現在89歳)。
幼い頃からスケッチをするなど絵に興味があったようですが、その後少女時代に統合失調症を患います。
動物や植物が人間の言葉で話しかけて来る、水玉や編み目が視界に入り込んでくるなどの幻覚、幻聴を感じる日々が続いた彌生は、それらの恐怖から逃れるようにして幻覚、幻聴を絵として書き留めていくのです。
「絵を描く事は自らの熱気、本能、原始的に始まってしまった」と草間彌生は話しています。
高校卒業後に京都市立美術工芸学校で日本画を学び、基礎的な技術を習得するものの、日本ゆえの厳しく古い価値観に失望し、故郷の松本へと戻ります。
松本では飲食も忘れて絵を描き続け、東京で数回の個展も開いたのですが、日本の閉塞感に嫌気がさして渡米。彌生27歳の時でした。
ニューヨークでの草間彌生は「クサマ・ハプニング」というヌードやセックス、といったものを題材とした過激なパフォーマンスやアートを積極的に行います。
彼女は「セックスの抑圧が戦争などにもかかわっている」と述べ、男女の性差についても独自の価値観を持っていました。
1968年には自作自演の映画【草間の自己消滅】が第4回ベルギー国際短編映画祭に入賞、第2回アン・アーバー映画祭で銀賞を受賞しています。
日本で出来なかった自由奔放なスタイルを思う存分に発揮し、独特なアート感が認められたのが海外での草間彌生。
日本ではそのあまりに無謀で過激なスタイルは、ほとんど認められる事はありませんでした。
1973年、当時のパートナーだったアメリカ人アーティストのジョセフ・コーネルが死去。体調を崩した草間は日本へと帰国、入退院を繰り返します。
その後は小説などを執筆、そして1993年(平成5年)、ヴェネツィア・ビエンナーレに日本代表として参加し世界的に再評価熱が高まったのです。
2009年には正方形の絵画群である「わが永遠の魂」シリーズの作成を始め、2012年にはルイ・ヴィトンとの共同コレクションなど、商業分野での活動も行っています。
展覧会なども世界各地で行われ、日本でも「草間彌生」の人気は不動のものとなっていきます。
草間彌生の世界
水玉模様が印象的な作品が多い草間彌生ですが、彼女はこう言っています。
宇宙は沢山の水玉の集まり。人間というのはそういう水玉で出来ている。そうでなければ生きられない
彼女だけに見えている世界とはいえ、これはもしかしたら「素粒子」の事なのかな‥?と思えます。「量子力学」の世界をまじかに感じているのでは・・
精神的な病だから・・というだけでは説明出来ない何かが彼女には見えているのかもしれません。
下の画像は若かりし頃の草間彌生です。水玉に包まれていますね~。
そして彼女の作品の多くが「かぼちゃ」。
これは彼女が少女の頃、統合失調症の発作が出た折に、畑のかぼちゃを抱きしめると症状が落ち着いたから、という経緯からのものだそうです。
今でもカボチャを抱きしめる事があるそう。
現在も精神病院の一室で、人目にあまり触れない様に生き、そしてひたすら芸術活動を行っているという草間彌生。
彼女の独特な世界感は不思議な魅力に満ちています。
終わりに
長野県出身の有名人2人めは「草間彌生」。
久石譲にしても草間彌生にしても世界的に著名な芸術家です。
長野県民の誇りですね。
長野県松本市の松本市美術館では、草間彌生の作品展を開催する事が多く、ショップでは草間彌生関連の書籍、グッズなどを販売しています。
美術館自体が草間彌生一色と言った感じの風情もあって見ごたえもありです。
是非行かれてみて下さいね。
詳細は以下、松本市美術館HPをご確認下さい。